大奥8巻
よしながふみ(白泉社・ジェッツコミックス)
『死役所』を既刊(15巻)全て記事にしましたので、『大奥』に戻ります。
表紙のこの人は誰?というところからになる8巻。
ここからは『大奥』で唯一、史実を絡めながらオリジナルキャラクターが多数活躍するパートになります。
【あらすじ】
八代将軍に就任した吉宗(よしむね)は、政治的手腕を如何無く発揮し、3人の娘を出産、将軍としても母としても前途は安泰かに思えた。しかし長子・家重(いえしげ)は、病により言語不明瞭、身体も意のままには動かない。更には酒色に溺れ、家臣たちにも疎まれ笑われていた。
田沼龍(たぬま・たつ)は、吉宗より直々に問題の家重の御小姓に抜擢され、苦労の多い毎日を嘆いていたがーーー
【時代と幕府の主要人物】
享保20(1735)年頃〜宝暦10(1760)年頃
将軍:八代・吉宗(よしむね)→九代・家重(いえしげ)
御台所:真宮理子女王(さなのみやまさこじょおう)※登場せず→比宮増子女王(なみのみやますこじょおう)
主な家臣:加納久通(かのう・ひさみち)→田沼意次(たぬま・おきつぐ)
大奥総取締:藤波(ふじなみ)→杉下(すぎした)
側室:お須磨の方(おすまのかた)※没後も他側室は登場せず→お幸の方(おこうのかた)、お千瀬の方(おちせのかた)
【感想】
この8巻は、まさに「吉宗の功罪」を描いている巻ですね。
私個人としては、吉宗以降は家茂が出てくるまでの間、名前だけは受験勉強の時に覚えたことがあるという程度で、どのような将軍たちか分かっていなかったので、歴史物としても新鮮な気持ちで読みました。
問題(?)の九代将軍・家重は、病気で言語不明瞭、下のことも自分で出来ないという設定で、自分でも徳川家重を調べてみました。
極度の頻尿により「小便公方」と揶揄されていたようで、病気は脳性麻痺。埋葬された骨に残る歯から歯軋りの跡が分かり、アトテーゼタイプの脳性麻痺の典型症状があったと見られています。
ですが、その埋葬された骨から、非常に整った顔貌であったということも分かっているそうです。でも残存している肖像画の顔が綺麗ではないのは、顔面麻痺のせいではないかと(漫画の家重は顔面麻痺までは無く、家臣から馬鹿にされるほど普通に不細工に描かれていますが)
また、本当の家重にも女性説有りと!頻尿にまつわるエピソードかららしいですが、背丈が当時の女性にしてはかなり大きかったようなので、やはり違うだろうという見解も。
しかしそもそも、正室は出自が分かっており、比宮増子女王は宮家のお姫様ですから、この漫画ではあるまいし、女性に女性が嫁ぎ、その事実を隠せるものではないと思うので、女性説は普通に無理があると思うのですけどね。
というわけで、キャラクターとしては魅力的というには少し違いますが、家重のインパクトは強く、私としては彼女の物語を興味深く読みました。
凡庸で無能と思われてきた本当の歴史の家重も、実際は聡明だったのではないかという説もありますが、『大奥』の中でも病気で身体と言語が不自由なだけで、精神と頭脳は至極真っ当な設定です。
そして、大岡忠光と田沼意次という優れた家臣に恵まれたので、本来はもっと評価されても良い将軍だったのではないかと思うのですけどね…
家重の悲劇は、母親が吉宗であったせいです。
吉宗は死ぬまで絶大な影響力を誇り、大御所として政を行うことを止めなかった。家臣たちにも娘たちにも、次女の宗武より将軍の器であるのは長子である家重であるとはっきり言わなかった。
だから周囲の人間は家重を認めなかった。
妹たちを含めた周囲の人間たちの侮蔑の言動に、どれだけ傷ついてきたか。自分の身体をどれだけ恥じてきたか。
そう考えると、吉宗は良い母親ではなかったと思うのですよね…
更に、前巻の記事で「怖過ぎる」と言った加納久通ですが…
やはり怖かった。
まさかここまでとは。
主人を思う忠義故なのでしょうが、それを涙一つで受け止め、感謝する吉宗。完全に吉宗も同罪です。
天下人の跡目問題というのは、こういうもので致し方無いのでしょうかね。
現代の私に理解は難しいです。
◆反復読後の小部屋◆※既読推奨
上に書いたように、家重の物語は読み応えはあるのですがなかなか辛いので、途中のお幸の方と芳三の話が私は好きです。
男尊女卑ならぬ女尊男卑という、男女逆転なのにここまでは描かれてこなかった(大体ここまでに出てきた目立つ男性は基本的に将軍の側室か正室だし、そもそも大奥は男ばかりなので女性と比べて云々という概念が無い)現象もあり、単純にほっこりする話でもなく、創作エピソードですがこちらも読み応えがありました。
芳三の料理もとても美味しそうです。『きのう何食べた?』のよしながふみ先生ですものね。
お幸の方が家重の不興を買って牢に入れられ、吉宗から家重への指示で牢から出てきた後も家重との仲が戻ることは無かった、というのは史実でも語られるところではありますが、お幸の方の余生は漫画と同じように穏やかであったなら良いと思うだけです。
そして杉下の存在感。1巻では「感じの良い脇役」という位置付けでしたが、水野が去った後吉宗はしっかり杉下を重用し、大奥では無くてはならない人になりました。人柄と才を如何無く発揮し、大奥で生きる男性としては幸せな人生を全うしたといえるところが私にも嬉しかったです。
しかしつくづく思うのですが、杉下は吉宗にきちんと苦言を呈していた模様なのに、何故吉宗は何度も反省しながらこうなってしまったのか。
前回も書きましたが、7巻の途中で自分が人の心の機微を分からない人間だと反省する場面もあれど、詰めが甘い!
何度読んでも苛立ちます…
◆既刊(17巻)を全部読んだ後の小部屋◆※既読推奨
吉宗の母親としての詰めの甘さによる負の遺産は、娘たちの代に止まりません。
次女・宗武は、長子であれば母親も自分を将軍にしたがっていたと信じてずっと不満を募らせ、その思いを娘・聡子に託します。田安宗武の子で有名といえば、松平定信。松平定信は田沼意次が大嫌いだったそうですが、この後『大奥』で成長した聡子も同じです。若い頃は特に、母親の心残りと祖母への憧憬が悪い方向に働きます。若さ故の浅はかさを、サイコパス徳川治済に付け込まれるのですよね。
そもそも吉宗が、宗武にはっきり身の程を弁えさせておけばこのようなことにならなかったのでは…と、何回も言っていますけど。
吉宗の孫たち、三姉妹のそれぞれの娘は、徳川家治・松平定信・徳川治済。残念なことに、善悪別にしてですが、徳川治済が他2人より一枚も二枚も上手でした。
…といっても、これは『大奥』の話。史実では、出しゃばってくる宗武に、家重も吉宗も処分を下しています。宗武は、懲りずに松平定信を将軍にとは考えていたようですが、家重はそのような宗武に死ぬまで謁見を許さなかったそうです。いい気味だと思ってしまったのは私だけでしょうか。
そして、徳川治済もサイコパスということはなさそうですが、一橋家から自分の息子・家斉を将軍にして、田沼派を一掃しますからね。裏で何があったとしても不思議ではないかもしれません。
『大奥』は本当に、良い悪い別にして、登場人物の心や思惑が上手く創作されて、史実に沿った壮大な創作物語が見事に読み応えのあるものに仕上げられています。
あまりの見事さに感情移入してしまう分、本当に良い悪い別なので(苦笑)、涙もするし怒りも湧きます。創作の物語にここまで思うほうがおかしいのかもしれませんが、それだけに改めてこの漫画の凄さを感じますね。